富山プロダクツ

桂樹舎

PROFILE
富山市八尾町にある有限会社桂樹舎は、吉田桂介さんが八尾の手漉き和紙に魅了され、越中紙社を立ち上げたのが始まり。民藝運動の提唱者、柳宗悦や人間国宝の芹沢銈介などと交流。芹沢から学んだ型染め和紙を基本に、独自のものづくりを通して和紙の文化を継承し現代に生かしてきた。桂樹舎の和紙文庫では桂介さんが蒐(しゅう)集した国内外の紙にまつわる民芸品を展示。紙漉き体験もできる。世田谷美術館、富山県美術館などで開催された「民藝 MINGEI―美は暮らしのなかにある」展では、民藝に重要な役割を果たしてきた桂樹舎のものづくりが紹介された。

日常により添う、もっと身近な和紙のものづくりを。

和紙に魅了され、柳宗悦と出会った

富山市南西部にある八尾町は「おわら風の盆」で知られ、風情ある坂の町に毎年多くの人が訪れる。桂樹舎は町を流れる川沿いに佇む。八尾は江戸時代から明治初期には養蚕、生糸の取引、和紙などによって栄えた。富山の売薬の薬包紙などの丈夫な紙が漉かれ、山あいの農家では冬の仕事として和紙づくりが盛んだった。しかし、機械による洋紙の大量生産で和紙生産は徐々に衰退。そんな中でも昭和初期から和紙の美しさに魅了され、自ら和紙づくりを試みたのが桂樹舎の創設者吉田桂介さん(1915年-2014年)だ。1946年には桂樹舎の前身の和紙工房「越中紙社」を立ち上げた。きっかけの一つが、民藝運動の提唱者、柳宗悦との出会いだ。柳宗悦が和紙について記した『和紙の美』に感銘を受けた桂介さんは柳を訪ね、今後の和紙づくりの方向性を尋ねた。柳は「伝統の手法を守った昔のような和紙をつくれば間違いない」と、和紙の素晴らしさを語り、励ましたという。

手もみ和紙が、革のような素材に変わる

桂介さんは柳宗悦の言葉に力を得て、そのままでは消えゆく伝統の八尾の和紙の美を守り、和紙を日常生活に戻さねばならないと考えた。越中紙社を興し、民藝運動に携わる重要な人物との交流も深めた。桂介さんの息子で現社長の吉田泰樹さんによると、「終戦後、芹沢銈介先生が布に代わる素材として和紙の型染めカレンダーをつくり始め、人気が出て生産が追いつかなくなると、父も型染めの技法を学び八尾でもつくるようになったのです」。桂介さんは型染め和紙という大きな力を得て、その後、時代に合ったものづくりをスタート。「父は札入れや名刺入れなどを自分でデザインして和紙の小物をつくるようになりました。和紙クッションや角座もそうです」。厚めの和紙を漉いて手でもみ、こんにゃく糊を塗る。それに型染めしたものを加工した商品だ。丈夫で、使うほどに艶や風合いが出る。手触りも含めて、革のようなテクスチャーが味わい深い。桂介さんはその生涯の活動を通して、和紙文化の継承と発展に大きな功績を残した。

いくつもの手仕事を積み重ね型染めで染めた和紙には、やわらかな風合いがある

吉田泰樹さんも幼い頃から家族の仕事を間近に見て、自然にこの道を志すようになっていった。大学卒業後、芹沢銈介のもとで3年間修行し帰郷。以来、八尾で和紙づくりに取り組む。「型染め和紙の良さは、すべて手仕事で型紙を彫ったり、糊を置いたり、もみ紙を染めるため、模様の境界がはっきりしないところ。なんとも言えないやわらかな風合いが生まれてくるのです」。また、経年変化も美しい。現在も、桂介さんが手がけたデザインが活用されているほか、新しい柄や試みによる商品も次々と生み出されている。従来の総柄ではなく部分的に型染めした書類入れもそのひとつ。本革の留め具にもこだわった。

さらに、娘の南子さんも加わり、ものづくりの現場に新しい風が吹き始めた。南子さんの意見から、従来よりも鮮やかな色の商品が増えたほか、南子さんは祖父が手がけた鳥の絵柄をクッションなどにも展開。また、以前からあった鯉のぼりを動くようにコンパクトに進化させた「鯉のぼりモビール [爽々]」をともに開発。赤い糸で吊るされた小さな鯉が空中をそよそよと泳ぎ、心地いい空間をつくり出して人気となっている。

現代の空間に馴染む、もっと身近な商品づくりを

 

「鯉のぼりモビール」には紙漉きの「簾(す)」にヒントを得た特注の竹ひごを使う。「細く、しかも弱くない材料を探して見つけたのが紙漉き屋ならではの道具でした」と泰樹さん。「自社での一貫生産のため細部までこだわることができます。納得のいくまで一所懸命やることが大事」と力を込める。紙漉き場や型染めの現場では、若手からベテランまで、同社の和紙の魅力に惹かれ、県内外から集まった職員が生き生きと働いている。今年で最後となる復刻版の型染めカレンダーの制作も行われていた。楮など素材の準備から、紙漉き、手もみ、型紙づくり、糊置き、色付けなど、その工程はすべて手作業。「悩みは一度にたくさんつくれず、手間の分を価格に反映できていないこと」と話す。そして、高岡のおりんや革細工など、様々な素材やつくり手たちとのコラボにも積極的だ。今年はcolm designの成田吉宣さんと取り組んだ、kataoriを発表。繊細なシワと立体感のある折り目が美しい「生和紙(きわし)」で作った封筒や名刺入れなどのステーショナリーが揃う。柄のないクールなデザインで現代の空間にも馴染む。「もっと、和紙を身近で使っていただけるものをつくっていきたい」と泰樹さんは思いを込める。

 

Keijusha, a studio located in Yatsuo-machi, Toyama City, was founded by Keisuke Yoshida in 1946, inspired by his fascination with the handmade Japanese paper(washi) of this area. His journey took him into contact with Soetsu Yanagi, the first advocate of the mingei (folk craft) movement in Japan, and with Keisuke Serizawa, a living national treasure. Based on stencil dyeing techniques learned from Serizawa, Keijusha takes a unique approach to making washi to keep itsculture alive in contemporary times. The washi cushions and mats are made by spreading and rubbing by hand thick paper and then applying konjac glue to it. The resulting material is then stencil dyed to create these products. It is robust and has a deep texture that becomes like leather the more it is used. Yasuki Yoshida, Keisuke’s son, is now the representative of the company. “What is important for us is to handle each and every part of the creation process ourselves, taking attention to every last detail until we are fully satisfied,” he says. His daughter Minamiko is also involved, bringing a fresh approach. This has resulted in more colorful products and new ways of using designs of birds made by her grandfather in cushions and other products. Both father and daughter have jointly worked on turning carp streamers into mobiles. This year they have announced a new series called Kataori designed to fit into contemporary spaces. Yasuki says that his goal is to “create washi products that people will use as part of their everyday lives.”