鋳物のまちとして400年の歴史を誇る富山県高岡市。株式会社能作はこの地で来年、創業100周年を迎える鋳物メーカーだ。最近では錫100%の特性を活かした「曲がる器」で全国的に知られるようになり、売上はこの10年で約10倍に。従業員もかつての10人から100人以上に増えた。
いま、能作の工場は全国からの見学者が1日に何組も訪れるほか、20代や30代の若い社員たちで活気づいている。ここでは地元はもちろん、全国から集まった若者が高岡発のものづくりに挑む。決して楽な仕事ではないが、皆いきいきとして、誇りに満ちた表情だ。そして、その中心で指揮をとるのが能作克治社長。
2013年には「第5回ものづくり日本大賞経済産業大臣賞」を受賞するなど、いまやものづくりの世界では知らない人がいない存在となった。だが、「能作」の名が全国的に広まったのは、ここ数年のこと。かつては問屋からの下請け仕事がほとんどで、表舞台に出ることはまったくなかったと言う。
能作克治社長は福井県生まれ。大阪芸術大学卒業後は大手新聞社で写真記者として勤め、結婚を機に高岡へ。妻の家業である能作の仕事を受け継いでいくことになった。
「最初は問屋さんにいい商品を納めたいと、私自身、現場で約18年、職人として技術を磨いてきたわけです。綺麗なものづくりができるようになり自信がつくと、どんな評価を受けるのか、ユーザーの顔が見たくなった。自社商品の開発をやりたいと思っているなかで、ディレクターやデザイナーたちと出会うことができたんです。2001年の高岡市の勉強会で、デザインディレクターの立川裕大さんがアレッシィのステンレスのボウルを見せてくれたんですが、驚くことに、うちでつくっている茶道具の建水とそっくりでした」
鋳物で薄い加工ができるという能作の高い技術が認められ、原宿での展覧会へとつながる。その後、東京のホテルCLASKAの照明を手がけたり、自らデザインして真鍮のベルもつくった。ベルとしてはまったく売れなかったが、お店の女性販売員のアドバイスで風鈴にしたところ、これが爆発的ヒット商品となる。それ以来、「販売の女性に聞きながら、商品開発をすすめていった」と語る。
風鈴の次には食器が欲しいということになったが、真鍮では銅や鉛が入っているため、食品衛生法上の規制が多いことがわかった。そこで、錫100%の器と言う、世界でまだ誰も手がけていない製品づくりに着手。最初はぐい呑や小鉢などを能作社長自らがデザインしていたが、アイテムを増やしたいと相談したのがデザイナーの小泉誠さんだった。「錫100%だとどうしても曲がってしまう欠点があると話したら、『曲げて使ったらいいんじゃない?』と。そこで、曲がる器というコンセプトモデルができあがったんです」
その後、2007年の富山県総合デザインセンターのワークショップで小野里奈さんがデザインし、後に能作が商品化した錫100%の「KAGO」が大きな話題を呼ぶ。これをきっかけに、テレビのドギュメンタリー番組など大手メディアが能作を次々と取り上げるようになった。メディアへの露出のおかげもあり売上が大きく伸び、今日の発展へとつながっていった。
いまでは、フランス人デザイナーとの共同開発による業務用のテーブルウェアなど、海外での積極的な商品展開、国内外での直営店展開も進めている。さらに、錫の抗菌性や柔らかさを生かして、医療分野でのものづくりにも取り組み始めた。
海外での販売に積極的に取り組んでいる能作だが、あくまでメイド・イン・高岡の鋳物づくりにこだわる。将来的には「高岡錫器」と呼ばれる地場産業を育てたいと言う。しかし、地場の鋳物メーカーや大阪錫器、薩摩錫器など全国の産地と競争するのではなく、「共に想い、共に創る、共創を大事にしたい」と語る。そのため自社に営業マンは置かず、自ら営業もしない。同業他社への素材提供なども行いながら、互いが共に発展する道を選んでいる。
「実は職人として仕事をしていたころ、鋳物の技術は高岡の同じ鋳物屋さんが教えてくれたんです。そのおかげできれいな鋳物が吹けるようになり、本当にお世話になった。伝統産業のものづくりにおいて、その背景が語れるということは一番大事なこと。高岡に恩返しする気持ちで、共に地域を活性化させたいというのがこれからの大きなテーマです」
これまで横のつながりがほとんどなかった地域の鋳物加工の職人たちが、互いに技術交流をはかる「カロエ高岡」という取り組みを始めたほか、来年の創業100周年に向けて、富山県総合デザインセンターそばに、新本社工場を建設する予定だ。「産業観光で、高岡のものづくりの現場をもっと多くの人に見てもらいたい。でも一番見て欲しいのは、高岡市民や子どもたち。足元を見て、地域を誇りに思ってもらえたら、それこそが本当の地方創生だと思うんです」